「早朝の高揚感」

みなさん,おはようございます。

今日はタイトルの通り「早朝の高揚感」について語っていきます。

今日はあいにくの土砂降りで,日課である早朝のウォーキングができず,本来のそのため

の時間をブログ制作で埋め合わせています。時間の有効活用ですね。

最近は夜遅くまでブログを書いていたため,その習慣を脱したいものです。睡眠の質が悪

くなるのでね。ブログは時間がありそうな時に書いていこうかなと計画しております。

それでは,導入が長くなりましたが,本題に入りましょう。

 

僕は日課として早朝ウォーキングをしている。きっかけとしては引っ越してきた地域,土

地に慣れようと思ったことだ。後,住んでいる周辺にコインランドリーや惣菜屋といった

暮らしに便利な店を探すことも目的としていた。そのおかげで僕は美味しい弁当屋に出会

うことができた。

今となってはもう習慣となってしまい欠かせないものとなった。

現在の目的は周辺探索ではなくなり,ただ気持ちがいいからという理由で歩いている。

この「気持ちがいい」とは早朝の涼しさとほのかに身体がじんわりと暖かくなることとが

共存した「気持ちの良さ」もそうだ。だが,この清々しさや歩いたことによる達成感より

も静かで,かつ,人の少ない住宅街を凱旋しているような高揚感が「気持ちがいい」の

だ。この「気持ち良さ」は広い教室で一人でいる時に感じるものと似ている。誰もいない

教室はクセになる。ただこの教室には制限が存在し,教室の体積分しか自分の自由を実感

できない。だが,ウォーキングによる自由の体積はどうか。自分が歩き続ける限り,そこ

には自由が存在し,それは一定ではないため何か特別なものを与えられたのではいかと実

感できる。自分の行く先々で高揚感に満ち,これがやめられない。

このような高揚感は,地方出身である僕に与えられた自宅以外で唯一の自分の存在を認識

させてくれる手段でもあるのだ。

以上が僕が1ヶ月前から思い始めた「早朝の高揚感」についてである。

 

みなさん,今日の記事はいかがだったでしょうか。

日頃,一人きりになる機会が少なかったり,自分自身と向き合う機会が少なかったりする

ような方々には是非早朝や日暮前のウォーキングをおすすめします。

また,このウォーキングは気分のリフレッシュだけでなく,歩きながら色々なものが観察

できそれに応じてインスピレーションであったり,忘れていたことを思い出すこともでき

ます。いわば瞑想ではないマインドフルネスのような扱いですね。

さて,今日はここまで。

みなさん,よい1日を。