「習慣化」について

みなさん,こんにちは。

今日はタイトルの通り「習慣化」について語っていきます。

みなさんは何かを習慣化しようとするとき,どのような計画を立てますか。

いきなり精力的にやっていくのか,それとも,徐々に段階を上げていくのかに分かれると

思います。

それでは,導入はここまでとして早速語っていきます。

 

みなさんは何かを習慣化するとき,どのようなことを意識するだろうか。

ここ数年のCOVID-19生活下で自宅にいる時間が増え,いろいろなことにチャレンジをし始

めた方が多いのではないか。健康のためのランニングであったり,運動不足解消のための

筋トレなど度々ニュースで取り上げられていた。僕もこの時期に筋トレに興味を持ち始め

た。

では,何かを習慣化するときにどのようなことを意識したら良いのか,このことにていて

僕の考えを紹介していく。

僕は何かを習慣化するとき,まずはできることとできないことの境界を探し始める。

例えば,筋トレ。僕はプッシュアップが苦手で腕と胸を鍛えたいのだが,一セットにでき

る回数に限度がある。僕は一種目を10回×3セットで行なっている。だが,二種もすると限

界寸前である。フォームが間違っているのかもしれないが,ここでは限界についてのみ考

える。プッシュアップの限界は二種目の計60回であり,これ以上はできない。この限界を

一度知ってしまえば限界以上に自分を追い込むことはないので続けることができる。

次に,習慣化するまでにかかる時間について考える。一般的には,習慣化に必要な期間は1

ヶ月から6ヶ月かかるといわれ,最短でも3週間かかる。ただし,この期間は絶対的な基準

ではなく,何を習慣化するかによって左右される。例えば,勉強の習慣化は約1ヶ月,身体

に関わる習慣化は約3ヶ月,思考に関わる習慣化は約6ヶ月かかるといわれる。

しかし,みなさんご存知の通り,習慣化には壁が必ず存在する。この壁は3種存在し,反抗

期,不安定期,倦怠期がある。ここで3種とも説明する気はないので,みなさん自身で調べ

てほしい。

この記事ではこれら3種の壁を乗り越える方法を考える。僕自身の経験から留意すべき点は

3点ある。1つ目は,小さな段階を踏んでいくこと。2つ目は,大きな目標を立てないこ

と。3つ目は,2日以上サボらないこと。

1つ目に関しては,ほんの数回,数分から始めてもいい。僕は英単語の勉強やフランス語の

例文暗唱を1分間やってみることから始めた。僕は言語を学ぶことに対して大きな抵抗を持

っているのだが,この方法を試して1ヶ月近く経つが今では1分間が10分間になっている。

最初に小さな段階を経験することで,もっと先に進みたいという欲が湧くのだ。

2つ目に関しては,己の限界を超えないためだ。例えば,筋トレの場合,短期間での肥大化

を望まず,長期間費やしてもいいから地道にやっていこうと思える。大きな目標を立てる

と,自分の生活に支障をきたし,ルーティーンが崩れてしまう。

3つ目に関しては,そのままだ。これは経験上,1日くらいはサボっても休憩という理由が

付けられるが,2日目もサボってしまうとスパイラルが回り始める。

以上が僕が「習慣化」について日頃から考えていることである。

 

みなさん,今回の記事はいかがでしょうか。

「習慣化」は何も気合いだけで解決できるものではありませんが,いくつかの心掛けによ

ってどうとでもなります。

小さなことをコツコツと,とは耳にタコでしょうが,継続こそ力なりです。

さて,今日はこの辺で失礼します。

みなさん,良い休日を。

 

 

「早朝の高揚感」

みなさん,おはようございます。

今日はタイトルの通り「早朝の高揚感」について語っていきます。

今日はあいにくの土砂降りで,日課である早朝のウォーキングができず,本来のそのため

の時間をブログ制作で埋め合わせています。時間の有効活用ですね。

最近は夜遅くまでブログを書いていたため,その習慣を脱したいものです。睡眠の質が悪

くなるのでね。ブログは時間がありそうな時に書いていこうかなと計画しております。

それでは,導入が長くなりましたが,本題に入りましょう。

 

僕は日課として早朝ウォーキングをしている。きっかけとしては引っ越してきた地域,土

地に慣れようと思ったことだ。後,住んでいる周辺にコインランドリーや惣菜屋といった

暮らしに便利な店を探すことも目的としていた。そのおかげで僕は美味しい弁当屋に出会

うことができた。

今となってはもう習慣となってしまい欠かせないものとなった。

現在の目的は周辺探索ではなくなり,ただ気持ちがいいからという理由で歩いている。

この「気持ちがいい」とは早朝の涼しさとほのかに身体がじんわりと暖かくなることとが

共存した「気持ちの良さ」もそうだ。だが,この清々しさや歩いたことによる達成感より

も静かで,かつ,人の少ない住宅街を凱旋しているような高揚感が「気持ちがいい」の

だ。この「気持ち良さ」は広い教室で一人でいる時に感じるものと似ている。誰もいない

教室はクセになる。ただこの教室には制限が存在し,教室の体積分しか自分の自由を実感

できない。だが,ウォーキングによる自由の体積はどうか。自分が歩き続ける限り,そこ

には自由が存在し,それは一定ではないため何か特別なものを与えられたのではいかと実

感できる。自分の行く先々で高揚感に満ち,これがやめられない。

このような高揚感は,地方出身である僕に与えられた自宅以外で唯一の自分の存在を認識

させてくれる手段でもあるのだ。

以上が僕が1ヶ月前から思い始めた「早朝の高揚感」についてである。

 

みなさん,今日の記事はいかがだったでしょうか。

日頃,一人きりになる機会が少なかったり,自分自身と向き合う機会が少なかったりする

ような方々には是非早朝や日暮前のウォーキングをおすすめします。

また,このウォーキングは気分のリフレッシュだけでなく,歩きながら色々なものが観察

できそれに応じてインスピレーションであったり,忘れていたことを思い出すこともでき

ます。いわば瞑想ではないマインドフルネスのような扱いですね。

さて,今日はここまで。

みなさん,よい1日を。

 

 

 

「テイカー」と「ギバー」について

みなさん,こんばんは。

今日はタイトルの通り「テイカー」と「ギバー」について語っていきます。

みなさんは何かグループ活動を行う際,他のメンバーに任せきりで楽な方に徹するのか,

それとも,他のメンバーのために尽力するのか,どちらの立場を取りますか。振り返って

みてください。

さて,導入はここまでとして語っていきたいと思います。

 

この世の中には「テイカー」と「ギバー」とその中間の「マッチャー」という人種が存在

する。

では,それぞれ一つずつ説明していこう。

「テイカー」とは他人とのやり取りにおいて利己的な人物を指す。「ギバー」とは普段か

らやり取りで相手に対して「何かやってあげよう」と考えている人物を指す。「マッチャ

ー」とは「テイカー」と「ギバー」の中間の人物で「何かを与えられたら何かをしてあげ

る」という無難な生き方をする人物である。みなさんの想像の通り3種類の中では「マッチ

ャー」が1番多い。

次にそれぞれの特性を見ていく。

「テイカー」は常に利己的なやり方を求めるため,たいていの作業で好成績を残す。「テ

イカー」は他人のことや見返り以上のことを気しないので,効率よくことを終わらせれる

のだ。「ギバー」は常に他者のことを考え,自分の仕事以外にも着手し,さらに見返り以

上のことを求めるため,作業効率が悪くなるのだ。「マッチャー」の関しては,みなさん

自身を思い起こしていただければよい。

実際の社会ではどのような成績を残すのか。

何十もの組織,何千もの人々を観察し,エンジニアたちに生産性に測ってもらい,医学部生の成績,営業マンの成績を調査した結果がある。

その結果によると,それぞれの職業において最も成績が悪かったのは「ギバー」であっ

た。医学部生の場合,「人のために何かをしてあげたい」と思っている学生ほど皮肉なこ

とに成績が悪いのだ。では,「ギバー」が最下位ならば,上位は「テイカー」なのだろう

か。実はそうではない。どの職業においても上位にいたのは「ギバー」なのである。

なぜ,このような逆説的なことが生じてしまうのか。

この理由を考える前にそれぞれのタイプが集団に及ぼす影響を考える。

まず,「テイカー」は他のタイプと相性が悪い。「テイカー」は最初は好発進だがすぐに

失速し,「マッチャー」に足元を掬われる。「マッチャー」は「目には目を歯には歯を」

がモットーなので「テイカー」を親の仇のように攻撃を始める。それらの挟まれる「ギバ

ー」の能力は相当低く発揮されるであろう。つまり,「テイカー」の排除が集団作業の成

功に直結するのだ。

つまり,「ギバー」は環境によっては凄まじい可能性を秘めているのである。

「テイカー」が排除され,「マッチャー」と共生し、互いに助け合えることができたのな

らば,集団はより高みを目指せるのだ。

この環境の形成には必須である「テイカー」の排除はどのように行えばよいのか。

実は「テイカー」の識別は簡単で,日常生活では飲食店での店員に対する態度やそもそも

の態度で識別できる。また,面接の機会では「自分のキャリアを劇的に向上させてくれた

人物を何人かあげてください。」という質問に対し,自分よりも上の立場の人の名前を上

げれば,その人は「テイカー」だ。

将来,現実社会では集団活動の機会が以前に増して必要になってくる。そのような社会の

ためにも,早期に「テイカー」を排除し,可能性に満ちた集団を形成するよう意識してみ

てはどうか。

以上が,僕が日頃から思っている「テイカー」と「ギバー」についてだ。

 

みなさん,今日の記事はいかがだったでしょうか。

一日間を空けてしまっただけでも筆の進みが大分遅くなってしまい,途中自分でも

論がずれているのではないかと感じてしまうほどにブランクの恐ろしさを実感いたしまし

た。

それでは今日はこのへんで。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

「NOT TO DO リスト」について

みなさん,こんばんは。

今日はタイトルの通り「NOT TO DO リスト」について語っていきたいと思います。

「NOT TO DO リスト」は「TO DO リスト」とは正反対の問題対処法であり,"TO DO",

つまり,「すべきこと」ではなくその逆の「しないこと」を列挙し,無駄な時間をなくし

ていくというアプローチです。

では,今回はどのようにして僕がこの「NOT TO DO リスト」を日常生活で利用してるの

か語っていきます。

 

どのようにしたら残された時間を有効的に活用できるのか。このような問いはいつの時代

でも我々人間を悩ませてきたはずだ。自分のスキルアップのために多方面に精力を注ぐ人

もいれば,何か一つのことに集中しそれを極めようとする人もいる。どちらの人がより有

効に時間を使えているのか,誰も判断できない。

このような問題を自分で解決すべく,僕は色々と考えた。そして,たどり着いた答えが,

無駄を省き自分が使える自由の時間を絞り出してこそ有効に時間を使うということではな

いかということだ。何を当たり前のことをいうのかと思われる方もいらっしゃると思う

が,この考えが思いついても実際に行動に移したという方は少数だろう。(我々人間は進化

の過程で無駄な時間を楽しむという能力を身に付けてしまったのだから。)この時間の絞り

出しこそが「NOT TO DO リスト」だ。僕は昨日の記事でも述べたようにせっかちな性格

ではなくむしろマイペースな人間であるが,この手法とは今のところ上手く付き合えてい

る。僕のリストの中には以下のようなものがある。

「就寝1時間前には電子機器を極力触らない」,「休日で朝っぱらからのNETFLIX 鑑賞をし

ない」,「ベットの上で読書やスマホを触らない」,「洗濯物を貯めない」,「ゴミを満

帆になるまで放置しない」,「帰宅後にリュクの中身をそのままにしておかない」,「大

学のロッカーに物を置かない」

これらは僕のリストの一部であり,実際には,しないように意識を向けている動作は非常

に多い。上記のリストの中で無駄が省けたと特に感じるのは,1番目,2番目,6番目だ。

1番目は周知の通り,就寝直前まで電子機器と見つめ合っていると睡眠の質が悪くなり,生

活に悪影響を及ぼす可能性が高い。分かってはいるものの中々できないのが我々人間だ。

ただ僕もこれが毎日実践できているわけではなく,レポート執筆や資料作成,講義の復習

などでこのリストに歯向かってしまうことはある。そういう時は諦めて,その翌日にきち

んと行動を起こせばいい。2番目については休日くらいのんびり過ごしたいと思う反面実践

してみると中々に効果がある。人間は朝が肝心とはよく聞いてきた文句であり,これは平

日だろうが休日だろうが関係はない。例えば,土日の2日間を2番目のリストに歯向かった

としたらどうなるか。当然,3日目の月曜日もそうしたくなるはずだ。僕はこうなるのが嫌

で,朝っぱらからの怠惰な生活を見直した。例え休日であったとしても,課題や雑事で休

日2日が1日になってしまうことも何回か経験した。6番目についてはどうか。これはただ単

に自分のリュックの整理が行えるだけではなく,リュックの中身から1日の活動がわかり,

その振り返りと次回までに何をすべきなのかが計画できる。要するに改めて計画を練る必

要がなくなるのだ。また,これはふとした時になすべきことを思い出した時の焦りであっ

たり,忘れ物をした時の失望を味合わなくて済む。

1番目,2番目,3番目では省ける無駄な時間の長さはそれぞれ異なるが,6番目だけを実践

しただけでも時間的にも,精神的にも焦りは軽減され,余裕が少しだけ生まれるだろう。

積み重ねが大事だと思う。

もちろん,僕は「TO DO リスト」も作成する。ただこの2つを併用する場合は是非「NOT

TO DO リスト」からの作成をお勧めする。というのも,「TO DO リスト」を作成したと

してもそれらのタスクが自分で決めた期間内に達成できるとは限らないからだ。僕は知っ

ている,ヒトはすべきことが多い時ほど無駄な時間を過ごそうという傾向にある事実を。

無駄を無理のない範囲で省いた自由時間であれば,多少はすべきことの量が多くても,少

しの余裕と不安を持ってタスクを制覇することができるはずだ。

以上が僕の「NOT TO DO リスト」に対する経験を踏まえた考えである。

 

みなさん,今日の記事はいかがだったでしょうか。

すべきことが多すぎてどうにかなりそうと悩んでいる時には,この「NOT TO DO リス

ト」は効果的です。ただ本当に必要のない時間だけ省くようにしてください。

明日は大学の都合上ブログの更新ができないかもしれません。

それでは,みなさん,おやすみなさい。良い夢を。

 

「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」

みなさん,こんばんは。

今日はタイトルの通り「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」について語っていきます。

いきなりですが,みなさんは「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」のどちらに当てはまります

か。夏休みは前半に苦い思いをし後半で弾けたのか,あるいは,最終日直近まで謳歌した

のか記憶を掘り返してみてください。

では,前置きはここまでとして僕が日頃常々思っていることを語っていきます。

 

今までの学校生活を振り返って,僕は宿題や雑事に対してどのように対応してきたのか。

例えば,夏休み。小中高を振り返って,僕は夏休み前半で全て宿題を片付け,後半を悩み

なく過ごした。

では,時を現在にまで戻そう。おそらくほとんどの元高校生たちが大学進学後に大きな壁

に感じるであろうレポート課題だ。僕は中高ともにレポート課題の経験があり,それなり

に量をこなしてきたため,大した障壁とはなり得なかった。僕の大学の場合,大抵のレポ

ート課題が2000字以上とさほど難易度は高くはないのだが,やはり未経験者には骨が折れ

るようだ。

レポートの内容に関してはここまでとして,課題に取り組むまでの時間について考える。

僕は課題が提出されてから翌日か翌々日には執筆し,提出が完了する。嫌なことは早めに

片付け,残った期日までの時間を何か他のことに費やしたいのだ。さて,この世には僕と

正反対で,期日前日付近まで課題を熟成し,仕上げるというスリリングな人々もいるよう

だ。後者を俗に「先延ばし魔」といい,前者はこれといった表現を聞いたことがなく,こ

の記事では「取り急ぎ魔」と名付ける。僕はせっかちではなくむしろマイペースな性格で

あるから,個人の性格が「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」を決定付けることは出来なさそ

うだ。単なる価値観の違いから生じるものだろう。

では,「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」の違いとは何であろう。取り掛かる期間はいうま

でもなく,態度の見られ方や出来栄えにどう影響するのだろうか。態度に関しては,「取

り急ぎ魔」がきっとプラスに評価されるだろう。出来栄えについてはどうか。アイデア

少ないまま提出を優先して書けば内容にはユーモアもなければ,文章も人並みだろう。一

方,期日の前日まで内容を熟成すれば優れたものが書けるだろう。だが,第三のパターン

として,期日の前日まで放置し焦りのまま書けば大変粗末なものになるだろう。おそらく

このパターンが最も有力だ。うーん。結局は才能か,運が決めてくれるのか。

勘の良いみなさんなら「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」はそれぞれ一長両端であるから,

その中間にあたるような取り組み方を身に付ける人が良いようにも思われる。確かに,適

度な緊張に晒され,必要十分なだけのアイデアを創出でき,文章構成についても何ども自

身で議論できるだろう。だが,このような人物になるには相当な努力を要するだろう。

「先延ばし魔」の人々は好機を逃し,「取り急ぎ魔」は味わったことのない焦りに困惑す

るはずだ。この中間的な取り組み方を身につけている人こそ独創的な人と世間では評価さ

れるのだろうか。

ただ中間の人を目指せば良いというものではない。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を12年近くにわたって製作した。また,

キング牧師ことマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは独立宣言の原稿をその前日ま

で書き続け,あの有名なセリフ"I have a dream"は即興で述べたという。

これは僕とは違う「先延ばし魔」の人々に僕が送る励ましの言葉であり,言う機会があれ

ば現実でも言ってみたいものだ。

また,「取り急ぎ魔」には共にユーモアと余裕を持とうという呼びかけしかできない。

以上,僕が「先延ばし魔」と「取り急ぎ魔」について常々思っていることである。

 

みなさん,今回の記事はいかがだったでしょうか。

課題解決や雑事遂行にはそれぞれ染み付いたやり方があると思いますが,また自分とは異

なる手法を試行錯誤し,新たな道を僕と共に拓いていきませんか。

では,今日はこのへんで。おやすみなさい。良い夢を。

 

 

 

 

初めての「ナン」

みなさん,こんにちは。

今日はタイトルの通り「ナン」について語っていきます。

今回の記事は今までとは異なり,日頃から常々思っていることは書かず,

今日(2022.5.22)初めて「ナン」を食べた男の感想をただ綴っていきたいと思います。

それでは早速参りましょう。

 

僕は今まで「ナン」を食べたことがなかった。「ナン」といえば,カレーとセットで食べ

られているイメージがあった。だが,僕はカレーにはライスだということを譲りたくはな

いので今まで「ナン」という食べ物に全く興味がなかった。

ところで,まだ僕が「ナン」と出会った経緯を述べていなかった。

今日,僕はバスで1時間弱離れた大型AEONモールへ飼い猫の誕生日プレゼントを購入する

べく珍しく休日に外出した。プレゼントの購入と自炊用の買い物を終えたのはもうすぐ

12:00に差し掛かる頃だった。家へ帰って昼食をとるか,外食して帰るか迷ったが,バスの

時間を踏まえ,後者を選択した。フードコートで食品サンプルや料理の写真,値段と睨め

っこをしながらときめく昼食を探した。僕は店を選ぶ際大切にしていることは3つあり,客

の少なさ,子連れが多いかどうか,値段で決めている。この条件に見事?当てはまったの

がインド料理店だ。この店はインド出身かどうかは不明だが,外国の方が営んでいるらし

い。厨房までは見なかったが,何となく外国の方が「ナン」を作っている光景を想像する

と心躍るものだ。さて,僕が注文したのは学生セット。内容としては,4種のカレーから1

種,「ナン」かライスか,ドリンクも選べた。値段は税込964円で,「ナン」とライスは

おかわり自由だった。僕のチョイスは,チキンカレー,「ナン」,ラッシーだ。この時の

僕が「ナン」を選んだ理由としては,今年のGWに家族でこのAEONを訪れた時にこの店の

前を通り,僕は「ナン」を食べたことがないな,という会話が思い出されたからだ。

チキンカレーは鶏モモ肉が2切れ入って,辛くもなく日本の家庭の食卓には並びそうもない

味がした。これがインドカレーというものか,レトルトとは違うな。ラッシーはサラっと

飲みやすく,甘すぎないものだった。僕は過去にマレーシアを訪ねたことがあり,その時

に飲んだ水っ気の多い薄いラッシーとはまるで違った。そして「ナン」。大きさは銀のプ

レートを我が物顔で支配するほどのものだった。僕が普段愛用しているiPad Pro(12.9イン

チ)よりも大きい。表面には焼き上げる時に使用していたであろう油が黄金色に映えてい

た。まずは一口,何もつけないで口に入れると,熱々でもっちりとした感触が僕の口に広

がった。ほのかに小麦の香りがして,少し焦げた窯の味がクセになる。まるでピザ(ピッツ

ァ)のクラフトを大きくしたものだ。とにかく僕にとっては,何故今までこの食べ物を知ら

なかったんだという後悔と今ここで出会えたことへの感謝で胸が一杯になった。

カレーにディップすることで,小麦の甘さとカレーのスパイスとが良いコントラストを築

き上げた。ディップ有り無しを繰り返していると,最初に運ばれて来た「ナン」を食べき

ってしまったので追加で注文することにした。最早「ナン」は僕にとって何枚食べても飽

きることはない食べ物だと早々に決定付けてしまった。おそらく肥満体型の方々にとって

ハンバーガーやマヨネーズ,チーズ料理と同じ扱いなのだ。

今日の経験を通して僕はインド料理,主に「ナン」に心を奪われたので,その分野におけ

る開拓を発展させていきたい。

 

みなさん,今回の僕の記事はいかがだったでしょうか。

みなさんにも僕にとっての「ナン」のように人生の伴侶として食べていきたい食べ物はあ

りますか。

それでは今日はこのへんで,今晩も楽しいお食事を。

 

 

 

 

 

庭先の花々について〜そこでは戦争が起こっているいる〜

みなさん,こんにちは。

今日はタイトルの通り庭先に植えられた花々について語っていきたいと思います。

僕は早朝ウォーキングを日課としていて,その際ご近所の方々が育てていらっしゃる庭先

やベランダの花々を勝手ながら観賞させていただいております。

では,導入もここまでとして日頃より僕が庭先やベランダに植えられた花々について思っ

ていることを述べていきます。

 

これから述べる花の名前はあるお宅の庭先に咲く花々のものだ。

アネモネ(紫)」,「アネモネ(白)」,「ムスカリ」,「アジュガ

実際には後2,3種ほどポッドに植えられていたのだが,それらの名前が分からず知ってい

るものだけを列挙した。白と紫の2色で統一され,落ち着きのある雰囲気だった。あいにく

の曇り空であったが,目の保養には十分だ。

景観としては心和むものだが,見る人が見ると大変混沌とした景観である。

ところで,みなさんはどれくらい花言葉について知っているだろうか。

例えば,身近な花では,薔薇(赤)は「愛」や「美」,マリーゴールドは「絶望」や「嫉妬」

といった花言葉をもつ。では,前述の4種の花についてはどうか。僕の知る限りでは(調べ

るのがめんどくさい)こんなものだったと思う。アネモネ(紫)には「見捨てられた」,「見

放された」。アネモネ(白)には「希望」,「真実」。ムスカリには「絶望」,「失望」。ア

ジュガには「強い友情」,「心休まる家庭」。

ただ僕が花言葉に関心を抱いたのは2〜3年前なのでこれらの花言葉の正確性には自信がな

い。興味のある方は各自調べていただきたい。

さて,ここまで述べると僕が心和んだ景観が実は混沌としたものであったと読者の方々も

わかっていただけるはずだ。色調は互いに調和し合っているのに,花言葉が互いを殺し合

っているのだから。このチョイスを決めた方は色調だけで決めてしまったのだろうか。

いくら家庭が円満で,家族個人個人が希望に満ち溢れていたとしても,僕からしたらなん

とも滑稽な景観にも思えてくる。

以上が僕が日頃から「庭先の花々」に対して思っていることだ。

 

みなさん,今日の僕の記事はいかがだったでしょうか。

普段何気なく見て,素通りしてしまう庭先の花々に対してもこういった楽しみ方があるん

です。実践してみることをおすすめします。

では,今日はここらへんで失礼します。